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久々に週プロを買った。 キオスクで高田の顔を見て、反応してしまうU信者。 しかし内容はハッスルの事だった。 なんだ、じゃあ総統のコスチュームで出れば良いのに…でも、記事の内容は面白かった。 高田は「泣き虫」という著書で、プロレス、特にUインターと新日の対抗戦のいきさつを明らかにして、プロレスの試合結果は全て予め決まっている事を告白した。 この本は大変な反響を呼んで、ターザン山本なぞは「永久戦犯」というアンサー本を出して批判した。 ※この「永久戦犯」というタイトルは、1997年、高田がヒクソン・グレイシーに敗れた際の週プロ特別号の表紙で「A級戦犯」と報じた事にかけて、「泣き虫」で高田がやった事をさらに深い罪とする意味で付けられた。 今回の記事にも、高田が猪木の付き人であった時代、タニマチに「全部決まってるんでしょ?」と聞かれて悔しかったというエピソードが載っているが、自分の記憶に誤りが無ければ、「泣き虫」以前にも、高田はNumber誌でこの件を述べていたと思う。 ただその時は「だからUWFに移った」という論旨だったけど、目新しい話ではない。 むしろ読み終えてみて一番印象に残ったのは、高田が週プロ(そこで報じられる現在のプロレス)について、「こんな雑誌には載りたくないと思った」と言っている点だ。 ハッスルについて「既成ジャンルの破壊、再構築」と定義した上で、現在のプロレスは、プロレスを好む人達だけの輪の中(プロレス村と表現している)でだけ展開しているという部分について批判している。 この意見について、自分の中には賛成と反対の両方の考えがある。 まず賛成の方。 自分は、プロレスの週間雑誌はインディーを載せ過ぎだと思っている。 「プロレス団体」の定義が全く不明瞭だ。 リングを組んでタイツ姿の人がプロレス技をやっていればそれはプロレス団体なのだろうか? では学生プロレスはなぜ報じないのか? 興行形態で観客から観戦料を徴収するか否かが境目だというなら、猪木とマサさんの巌流島はプロレスではないのか? まったく不明。 1冊500円の雑誌というのは決して安くないし、その記事の半分以上がどこのウマの骨か解らないちょっと太ったアンチャン達の血ダルマ姿で、これがプロレスで御座いますと紹介されては、衰退するのも無理は無いと思う。 見世物小屋じゃないんだから、プロレス団体として確固としたクオリティーを持つ団体だけに絞るか、それ以外の団体を別媒体で報じるなりして欲しい。 で、反対の方。 今回の表紙タイトルにもなっている「カミングアウトしよう」という言葉に、高田は未だにそういうところに居るんだなあと思った。 結果が予め決められているという事を問題にしている。 プロレスを純粋なスポーツと捉えれば裏事情という事になるんだろうけど、そもそもプロレスは競技と演劇のハザマに属する独特のジャンルである事は観れば解る。 つまり、いまさら裏事情でもなんでもない既成事実だし、八百長論議で熱くなる時代でももはや無いだろう。 総統ではない素顔の表紙といい、「カミングアウト」という扇情的なタイトルといい、プロレスファンを逆撫でする意図は明白だけど、ハッスルにプロレスファンを巻き込もうと考える時点で、時代遅れだ かつてフジテレビの「めちゃめちゃイケてる」で「めちゃ日本女子プロレス」というコーナーが有った。 極楽とんぼが「極楽同盟」という、極悪同盟をパクった悪役になって本物の女子プロレスラーと戦うとか、岡村が阿部レフェリーのパロディをやったりとか、女子プロをよく解ってるなあという意味で、本当に面白かった。(実況が本物と同じ志温野アナという点も最高だ) ハッスルを見るとあれと同じだなあーと思うのでやはり好きなんだけど、週プロで結果を報じる必要は無い。 めちゃ日本女子の試合結果を載せる必要があるか?と考えれば解る。 ハッスルはプロレスでは無く、プロレスをモチーフにしたステージだから。 プロレスは”魅せる”・”怖がらせる”・”泣かせる”・”感動させる”という演劇や映画に期待される娯楽性を、鍛え抜かれた体と技で表現する、独特のジャンルだ。 娯楽性の部分だけを表現するなら、ハッスルやめちゃ日本女子の様に芸能人が演じる事も可能だ。 つまりはプロレスごっこである。 これなら、プロレスファン以外の人達も楽しめる。 草野アナと関根勤さんの一戦と同じだ。 しかし、手抜き無しのプロレスを受け止めるには、鍛錬が必要だ。 頭からさかさまに落とされても首の骨をを折らない、体育館の床に直接叩きつけられてもショックで窒息したりしない、動く人間を抱え上げて投げ飛ばせる、そういう動きを一時間以上も続ける事が出来る…そんな事、素人には無理だ。 プロレスの鍛錬が本物である事は、はからずも当の高田延彦本人が、総合格闘技のリングで試合を成立させた事で証明した。 高田の膝でヒクソンは一瞬でも崩れ落ちたし、高田のヒールホールドでマーク・コールマンはギブアップしたのである。 その技術に嘘は無い。 それは、サーカスにおける曲技・バレエにおける鋭い舞・フィギュアスケートにおける華麗な演技と同じ、過酷な鍛錬なくして成立しないプロフェッショナルの領域だ。 競技スポーツが真実でエンターテイメントスポーツは嘘という論法は成立しないのである。 高田がハッスルの宣伝に一所懸命なのは良く解るし、DSEが無くなってしまった今、応援したいとも思う。 でも、高田が上野毛で流した汗に嘘は無い筈だし、その大事な過去を否定するのは勿体無い事だ。 そこは分けて考えた方が良いと思う。 今日、自分は新日本プロレスの両国大会を観に行く。 棚橋弘至と後藤洋央紀という若い二人がIWGPのベルトをかけて試合をする。 その結果が予め予定されているかどうかは問題ではない。 肉体と肉体の手抜きの無いぶつかりあい、手の内を知り尽くした同士の駆け引き。 どこまで観客を楽しませる事が出来るかを、高い技術と体力で競うその舞台を、自分は観たいと思う。 二人のうちどちらかが手を抜いたり息切れでもしようものなら、観客の罵声を浴びるだろう。 観ている人には解ってしまうのである。 |
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